南北関係が融和・進展を見せようとすると、決まってどこからともなく表れては朝鮮批判を行う韓国在住「脱北者」。
「政府高官」「外交官」「高級軍人」「政治犯」「一般人」等、その肩書は多種多様だが、彼らの口から語られるのは決まって、「北の人民は飢餓に苦しんでいる」「北には人権、自由がない」「北は政治犯収容所で拷問を加えている」「北の指導者は恐ろしい狂人」「北は崩壊する」等という、まるで推して測ったかのような定型文で根拠に乏しい、反北勢力に都合の良いものがほとんど。
そんな中、韓国のインターネット新聞「自主時報」がとある「脱北者」の体験記を掲載し始めた。
筆者の語りは、それまでの「脱北者」の記述、陳述とは違い、自身の経験と心情を率直に吐露するものである。
当サイトでは、この体験記を紹介することにした。(以下本文)
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私は脱北者です。
脱北者たちの中で、メディアに出て北(朝鮮)について語る人々は、北に対し正確に話していないのが南(韓国)の現実です。 あまりにも残念です。
板門店宣言で南北の関係が改善されて統一の雰囲気が高まる中で、北に対して正確に知ることが重要であると考えられます。
統一に向け共に手を取って進もうとする南と北、北と南が互いに正確に、よく知ることが統一に役立つでしょう。
だから、これから私が北で直接経験した事だけを、真実に則って書いてみたいと思います。 多くの方々の関心のほど、宜しくお願いします。
まず、軍生活について話そうと思います。
私は1992年に軍に入隊したのですが、新兵訓練を3ヶ月(軍種、兵種ごとに新兵訓練期間が異なります)受けて、10月末頃に中隊に配置されて行きました。 向かいながら、それなりに期待が大きかったです。
映画で見ていたように花輪を首にかけてくれて、中隊が歓迎行事をしてくれることを期待したのです。
しかし到着してみると、中隊建物は日直勤務兵を数人残してガランと空いているようでした。
後で知ったのですが、北の軍隊は食料は国から供給されるが副食物はほとんど自体で解決せねばならず、春には畑を耕し秋には収穫時ということで中隊が収穫に出ていたのでした。
夕方になり、背に一荷ずつ背負った軍人たちが隊列を合わせて中隊の前庭に入って来てたのですが、ちょうどそこで待っていた私たちを見て、「新兵が来た」と中隊長と士官長(中隊内務生活責任者)が嬉しそうな顔で歩いて来ては、わざわざ手を取ってくれたのでした。
二人とも土まみれで顔は汗だくのまま、土まみれの手で嬉しいと手を握ってくれたのですが、当時は失望が大きかったです。
長い月日が流れて私も年を重ね、その時の事を考えてみると、まさにそれが官兵一致の基本であり、そのような指揮官がいたからこそ、北の青春が当時10年という軍隊服務を誇らしく終えたのではないかと考えます。
今もその時を考えると、土まみれの手で新兵たちの手を取るのはまずいと思ったのか、手をトントンと払い自分の服で拭って新兵たちに手を差し出した、その指揮官たちが忘れられません。
しかし、まだ幼かったその当時、私は農業をしに軍隊に出てきてしまったのではないかと失望し、大いに当惑しました。
その後、新入兵士の生活の1年は、実際、家にいるときよりも楽でした。
軍生活10年とはいえ、新入兵士は1年間はほとんど何の任務もなく、まさに上から分隊長まで本当の末弟を見るように世話してくれました。
もちろん、中隊が100人を超える青春の集団なので時々争いもあり、1年差の先輩後輩同士は本当の兄弟のように打ち解けて過ごしても、お互いのプライド争いもして、まあ、そういうものですね。
だからといって、人民軍の軍人は皆が正しい人々であるのか?
決してそうではありません。
宝石も純度100%にはなることができないし、不純物が何%入ったからと言って、宝石が宝石でないことはありません。
私も不純物に属していた軍人だったし、その不純物は、その集団内で耐え抜く事ができません。
北は苦難の行軍を先軍政治で勝ち抜きました。
世界の歴史上、空前絶後の圧迫と封鎖に近い制裁を受ける国で、軍隊が国を守ることはもちろん、国家経済回生のために建設も、農作業も、炭鉱鉱山作業も、さらには漁まで率先していかなければならなかったので、その苦難と逆境は、言葉で表現することも大変な程だったはずです。
そんな集団に最も基本的に要求されるのは、愛国心に基づく道徳性と献身性であったでしょう。
年を重ねて振り返ってみると、自分の過ちは何のか、今後どのように生きなければならないか、少しは悟りました。
一つ確かなことは、北の人々は本当に良い人です。
これは私一人の考えではなく、いくら北側政権を嫌う人でも、北を訪問した後は北の人がどんなに良い人であるかを話します。 これから北の実情を足さず引かず、短くても書こうと思います。
もちろん、10年あれば山河も変わるということで、今ではいろいろな面で多くが変わったかもしれませんが、一つ確かなのは、北の人の基本的な精神と意識は絶対に変わっていないと確信します。(続)
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