人がこの世に生まれて、なんの屈曲もなく正しく真っ直ぐな道を進み生を終える人たちも居るし、・・・早くして分別を弁え覚醒し他人の手本となる人たちもいますが、若い時期を無駄に過ごすだけでは足らず、善くない事では常に名を馳せて生きて行く人たちもいます。
逆境と困難は、人間を正しく覚醒させて分を弁えさせますが、人間としての人となりを正確に判断させるようにもします。
私自身、国が何の心配もない時には何の考えもなく生きていたし、苦難の道を行くその時には無駄に青春時代を送り過ごした人間だし、非良心的で非道徳的な行動を何の迷いもなく行った人間でした。
しかし、過ぎゆく歳月の中でふとした瞬間、自分自身を顧みると、空を見上げるのも(顔を上げるのも)恥ずかしいほどでした。 家で飼う犬でさえ平穏を知っているというのに、それでも人としてこの世に出でた私が、何ゆえ畜生よりも劣るでしょうか。
この文は間違いなく脱北者たちも見るでしょう。
彼らの中で、自身が生まれ育ったその地を非難して貶して呪う少数の脱北者たちに問いたい。 あなたたちはその地に暮らしていた時、ただの一度でも、生まれ育った故郷、社会と周辺の人々のために献身したことがありましたか? ただの一度でも、あの善良な人々から、愛と情に満ちた笑みと優しい眼差しを受けたことがありましたか?
あったのなら、最後の一欠けらの良心ぐらいは残しておいて欲しいです。 なかったのなら、あの善良な人々からも人間扱いされなかった、自身の後ろめたい人生を顧みることを願います。
何年か前にインターネット上で、北で3年刑を受けて教化所生活をしたことを自慢げに話す、女性北韓(北朝鮮)人権運動家という人と口ゲンカ(論争)したことがありました。
彼女に、本当に余程の悪事を行っても男性でも入りにくい強化所に女性が、それも3年も刑罰を受けたのなら、私にはあなたの北での生活ぶりの見当がつくと言ってやったら、何も言わずに消えました。
虎の怖さを知らなかった子犬でさえも、歳を重ね分を弁えるようになるのに、ましてや人として、歳の分は果たさなければいけないではないですか。
私は軍生活を送りながら、大雪降る朝に起床して運動場に出てみると、中隊長、政治指導員、小隊長が既に雪を半分片付けているのを見ても、祝日が来たり、訓練中に休日が来たら軍官の婦人たちが夜通し飲食を作ってくれたことを見ても、工事の時には家庭にも物が無いのにお粥を炊いて出てきて、軍人たちに食べさせてくれた軍官の婦人たちを見ても、そのすべてが、どの国の軍隊にも当たり前にある現象だと思っていました。
いつだったか、中隊長の家の近所を通って薪が全くないのを見て、分隊長とベテラン隊員が山から薪を調達してきてくれたんですが、中隊長が彼らをあんなに叱り付けるところを初めて見ました。
あんなに絞られても年下の分隊長らが時々、薪を軍官の家族らにこっそり届けてあげるのも見ました。
この文は、軍生活していた脱北者が見ても一点の偽りもなく、足さず引かず書いています。 私の文に反駁する脱北者たちはいないだろうと確信しています。
もう一度言うと、私は宝石の塊を置いて評価する際、宝石そのものを評価するのであって、数%の不純物の事を話すのではありません。
強いて不純物だけを求めるならば、そのような脱北者が書いた、彼ら自身が行ったあらゆる悪事をまるで北の社会全般で起こるかのように書いた文章があまりにも多いので、それを探されればと思います。
もちろん不純物であった私も耐え抜くことができず、他の人は10年を誇らしく送った軍生活を3年も満たずに退出しました。 北では生活除隊と呼ばれます。 南での不名誉除隊みたいなものです。 北では、生活除隊が非常に屈辱的な事とされます。 本人はもちろん、家族も恥ずかしく情けないことです。 私の罪名は窃盗でした。 部隊の食糧を窃盗してタバコ、お酒と換え、また、バレて未遂に終わったこともあります。 (もちろん、20里(8㎞)外で消えたいくつかのものまで私のせいにされた事は、少し悔しくはあります。)
北の軍隊は抗日パルチザンの伝統を受け継いだ軍隊です。 抗日パルチザン隊員は誰かが背中を押して、その道に進んだ訳ではありません。 強制的に徴集されたものとは、もっと違うでしょう。
零下40度を繰り返す過酷な環境の中でも、自分たちは凍って飢え死にしながらも、仲間たちに自分の服を脱いで与え、自分の分け前として出されたトウモロコシ一握りも隠しておいて、同志たちの口に入れてくれた、人間として到達するのが難しい、最も高い道徳的で高貴な人間愛、同志愛を子孫に伝統として残しました。
ところが、このような伝統の軍隊で仲間が食べなければならない食糧を窃盗して、タバコ、お酒に換えた私のような不道徳な人間が許されるでしょうか。 到底、そんな集団にいる資格がないですよね。 今もその当時を考えるときは顔が熱くなって、胸に痛みが押し寄せてくる時があります。
率直に言えば、軍事服務1年は本当に模範的に行いました。 中隊で新入兵士8人中、最初に上等兵の称号も受け、小隊長も、下士官も沢山賞賛してくれました。 士官長(中隊下士官の中で最高職務)並みと中隊長の前で褒めてくれた小隊長の姿が時々思い出されます。
私が他の人よりも良いと考えるまさにその瞬間、私はすでに精神的に奈落に落ちました。 生きて来て見れば、私のような人間でも分を弁えて悟る時があるということに、少しは慰められます。
死ぬまで自分の過ちは考えず、すべてのものを生まれ育ったその地のせいにし、その地で犯した犯罪行為も自慢として騙り、その対価で生計を立てながら生きていくのならば、それほど憐れな人生もないだろうと確信しています。(続)
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