長きに渡る分断に終止符を打つ、悲願の民族統一に向かって確実に動き始めた。
○そもそもの悲劇の発端は、日本の植民地統治にある。
1945年8月15日、朝鮮半島は35年間の植民地統治から解放された。しかし、朝鮮人民を次に待ち受けていたのはソ連とアメリカによる信託政治だった。 半島を北緯38度線で南北に分割、朝鮮人民の手による政府が樹立するまでのはずが、朝鮮半島に親米政権を樹立してソ連を牽制したいアメリカの差し金によって南で単独選挙が強行され、南には親米反共政権が、北では半島全域で選挙を行い社会主義政権がそれぞれ樹立した。
結果、同族が相争う朝鮮戦争が1950年6月に勃発、1953年7月軍事境界線を境に国土が分断され、南の韓国には米軍が駐留、北の朝鮮と対峙し現在に至る構図となった。
○その後今日に至るまで、半島統一の機運は高まっては妨害されるのを幾度も繰り返してきた。
南では不正選挙で政権の安定化を図った李承晩独裁政権が1960年4.19民主化闘争で打倒され、民主化・統一への機運が盛り上がった。 しかし、朴正熙が1961年5月に軍事クーデターを起こし政権を簒奪、長期にわたる軍事独裁政権が民主化・統一運動に過酷な弾圧を加えた。
1970年代に入るとソ連とアメリカ間にデタントが進行、中国とアメリカが国交正常化に向かうなど国際情勢で緊張緩和が進む中、南北間では赤十字会談が開かれ、その水面下では極秘裏に双方の特使が平壌ソウル間を往来、1972年7月、歴史的な南北共同声明が発表された。
○南北で統一への機運が高まる中、軍事独裁体制のさらなる強化を図る朴正熙が1979年10月に暗殺され、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが高まった。しかし、全斗煥・盧泰愚をはじめとする軍部の中堅幹部グループが粛軍クーデターを断行、新たな軍事独裁を確立、それに反対し1980年5月光州民主化抗争、1987年6月民主化抗争と、民主化と民族統一を志向する流れは、軍事独裁政権を収束させ南に文民政権時代をもたらした。
一方北では、金日成主席が1980年10月「高麗民主連邦共和国」創立による連邦制統一方案を提案するなど、時代の変化に適応する形の統一方法を模索してきた。
○90年代に入り南北双方がUNに同時加盟、東西ドイツが統一を果たすなど、冷戦終結と共に国際環境が大きく変貌を遂げる中、94年には初の南北首脳会談が予定され、朝鮮統一への機運は最高潮の高まりを見せたが、金日成主席の急逝によって、この絶好のチャンスは流れてしまった。
その後、金大中・廬武鉉政権と南では民族和解に重きを置く政権が続き、2000年6月には金正日国防委員長と金大中大統領による史上初の南北首脳会談が開催、6.15共同宣言が発表されるに至る。 これに沿って、金剛山観光地区、開城工業地区が設置され、離散家族訪問事業が実施されるなど南北和解が進んだ。 2007年10月には金正日国防委員長と盧武鉉大統領による 南北首脳会談が行われ、10.4南北首脳宣言が出されるなど南北和解は進行速度の差異こそあれ促進されるかと思われた。
○しかし、「北朝鮮崩壊論」に沿ったアメリカの孤立圧殺政策による緊張激化、予期せぬ南北武力衝突などによる南北情勢の悪化、南で保守政権が発足し対決強硬路線回帰が起こると、南北の和解促進からは一転、対立の構図が再浮上、交流事業も停滞を余儀なくされる。 殊に朴槿恵政権に至っては、「北の崩壊による南の吸収統一」を掲げアメリカ・日本と共に朝鮮との敵対姿勢を強め、開城工業地区を一方的に閉鎖する等、南北の交流を遮断した。
一方、朝鮮では2011年12月に金正日総書記が逝去、金正恩国務委員長がその遺訓を受け継いだ。
2017年、国家機密の漏洩と権力私物化、相次ぐ失政で混乱を招いた朴槿恵政権が民衆のキャンドル革命によって瓦解、文在寅政権が南で発足した。
〇2018年、南北関係は大きく動くことになる。 金正恩国務委員長が1月1日の新年の辞で「平昌冬季オリンピックは民族の威象を示す良い契機であり、大会が成功裏に開催されることを真に願う」「このような見地から我々は代表団派遣を含む必要な措置をとる用意があり、このために北南当局が早急に会うことも出来るであろう、一つの血統を分けた同胞として同族の慶事を共に喜び手助けするのは当然のこと」と提案した。
これに対し、文在寅大統領が国務会議で金委員長の新年の辞での提案に対し積極的な支持意思を表明、当該部門に実質的な対策を講じるよう指示、滞っていた南北間接触が急ピッチで再開された。
南北は板門店連絡ルートを開通、実務会談を重ね、オリンピック期間に合わせて北側の高位級代表団と選手団、応援団、芸術団を送ることに合意した。
○2月9日北側高位級代表団が青瓦台を訪問、朝鮮労働党中央委員会の金輿正第1副部長が文在寅大統領に金正恩委員長からの親書を伝達し、金委員長のメッセージを口頭で伝達した。 その答礼として文在寅大統領の特使代表団が3月5日に平壌を訪問、鄭義溶国家安保室長が文在寅大統領の親書を金委員長に伝達した。
南北は実務接触を進め、3月29日の南北高位級会談において4月27日に板門店南側施設で南北首脳会談を開催することに合意するに至った。
4月27日、金正恩国務委員長と文在寅大統領の歴史的な出会いによる南北首脳会談(第三次)が板門店南側区域の「平和の家」で行われ、「板門店宣言」が発表された。
南北は民族の自主的平和統一に向けて歩むことを内外に高らかに宣言、南北間は二度と戦わず年内に朝鮮戦争を終結させる共同意思を示した。
また、朝鮮半島の非核化を達成するために共に力を合わせる旨、世界に知らしめた。
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