「全てのことには時と場所がある」 朝鮮中央通信論評

朝鮮中央通信は21日、韓国側が釜山で開催されるASEAN諸国特別首脳会議に朝鮮の金正恩国務委員長を招待したことと関連して論評を発表した。 文在寅大統領が金正恩国務委員長に親書を送った事実を朝鮮側が公式に認めた。

以下全文

来る25日から、南朝鮮の釜山で開かれるASEAN諸国の特別首脳会議の準備が最終段階で進められているという。

去る11月5日、南朝鮮の文在寅大統領は朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長が今回の特別首脳会議に参加してくれることを懇ろに招請する親書を丁重に送ってきた。

我々は、送ってきた親書が国務委員会委員長への真心からの信頼の念と懇切丁寧な期待が盛り込まれた招請なら、あえてありがたく思わない理由がない。

我々は、南側が国務委員会委員長の釜山訪問に関連する警護と儀典など、全ての迎接準備を最上の水準で整えて首を長くして待っていることも知らないわけではない。

そして、この機会でも逃がさず、現北南関係を解決するための新しい契機と与件を作ってみようとする文在寅大統領の苦悩と煩悶も十分に理解している。

それは、文在寅大統領の親書が寄せられた後も数回にわたって、国務委員会委員長が来られなければ特使でも訪問するようにしてくれという折り入った頼みを送ってきたことだけを見てもよく分かる。

しかし、濁り切った南朝鮮の空気は北南関係に対して非常に懐疑的であり、南朝鮮当局も北南間に提起される全ての問題を依然として民族共助でない外部勢力依存で解決していこうとする誤った立場から脱せずにいることが、こんにちの厳然たる現実である。

今のこの瞬間にさえ、「統一部」長官なる者は北南関係問題を持って米国への哀願訪問の途についたと言うのだから、初めから自主性も独自性もなく全てのことを外部勢力の手中に全的に任せている相手と対座して何を論議し、解決することができようか。

真心のこもった文は盲人も読むと言った。

どんなことにも時と場所があり、入る所、出る所が別にあるものである。

果たして、今の時点が北南の首脳が会う時なのかについて考えてみざるを得ない。

惑星の電波に乗って流れ込む騒々しい響きを通じて、南の情緒がひどくきれいでないことを我々も知り尽くしている。

南朝鮮の保守勢力は、現「政権」を「親北政権」だの、「左派政権」だのと口をそろえて謗り、その延長線上で「北南合意の破棄」を喧伝しながら我々に対する非難と攻撃にいつよりも熱を上げている。

はては、以前の「政権」の時もあえて聞かれなかった「北の政権交代」だの、「北の崩壊誘導」などという妄言まで吐かれるほどである。

枯れ木から水取りという言葉のように、こんな時にいったい北と南が会って何ができ、そのような対面が果たしてどんな意義があるかということである。

せっかく訪れた和解と協力の薫風を跡形もなく飛ばしているにもかかわらず、何の対策も講じられずにいる南朝鮮当局が、紙一枚の招請で険悪な現状態を手の平をひっくり返すように容易く変えられると思うなら、それ以上の誤算はないであろうというのが我々の考えである。

犯した過ちに対する反省と申し訳ない気持ちで三顧の礼を尽くしても足りない状況で、民族の運命と将来問題に何の関心もない他国の賓客らを大げさに招き、彼らの面前で北と南のどんな姿を見せたいのか問わざるを得ない。

北南間の根本問題、民族問題は一つも解決できない状態で、北南首脳の間に相変わらず対話が行われているかのように匂わせ、自分らが主導した「新南方政策」の片隅に北南関係をこっそりとはさみ入れてみようとする不純な企図に無鉄砲に従う我々ではない。

我々と大きく縁もない複雑な国際会議の場で会って握手し、写真を撮ることをいかに民族の聖山である白頭山で北南の首脳が両手を高く握り合った歴史的瞬間に比べられようか。

板門店と平壌、白頭山での約束が一つも実現されたものがない今の時点で、形式ばかりの北南首脳の対面はむしろ、しない方がましだというのが我々の立場である。

特に、北南関係の現危機がどこから来たのかをはっきり知って痛嘆しても遅い時に、あれほど米国に頼って失敗したことでも足らず、今度は住所も番地も間違っている多者協力の場で北南関係を論議しようと言うのだから訝しいだけである。

子どもなら頑是ないから牛の角の上に卵を積む工夫をしたと言えるが、南朝鮮社会を動かすという人々が自分らの過と失を冷静に判断することに息を入れる代わりに、水面に絵を描く考えばかりしているのだから、北南関係はいかに改善され、和解と協力の花はいつ再び咲くだろうか。

再び明白に言っておくが、何事でもうまく運ばれるには時と場所を賢明に選択しなければならない

このような理智も分からない相手と十回、百回会うとしても、どうして好ましい結果が出ようか、ということである。

そのやせた精神的土壌に、自主的決断がいつ芽生え育つのかを忍耐力を持って見守るしか他の方法はありそうにない。

南側の期待と誠意はありがたいが、国務委員会委員長が釜山に行くべき適当な理由を遂に探し出せなかったことについて理解してくれることを願う。

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ABOUTこの記事をかいた人

元記者。 過去に平壌特派員として駐在した経験あり。 当時、KEDOの軽水炉建設着工式で、「星条旗よ永遠なれ」をBGMとして意図的に流しながら薄ら笑いを浮かべていた韓国側スタッフに対し、一人怒りを覚えた事も。 朝鮮半島、アジア、世界に平和な未来が訪れんことを願う、朝鮮半島ウォッチャー。 現在も定期的に平壌を訪問している。