街中で見かける平壌市民たちのスマホ三昧には、正直、驚かされた。
10年ほど前から携帯電話が普及し始めたと聞いてはいたが、まさかこれほどとは。 過ぎた歳月を感じずにはいられない
朝鮮の携帯電話事情、日本の「ガラパゴス携帯電話(ガラケー)」のようなモノとは違う。 れっきとしたAndroid搭載スマートフォン、それも朝鮮の純国産モデルが幅を利かしている。
バス運転手さんのスマホを拝借、少し触らせてもらったが、やはり我々にも馴染みのあるスマホだ。 運転手さん、休憩時間にゲームアプリに興じている。(動画)
今回の訪朝では、平壌教員大学を訪問する機会があった。 この大学は幼稚園の保育士と人民学校(小学校)の教員を育成する大学で大半が女学生なのだが、教師たちが幼児・学生に対し実の母親のように接し、十分な愛情を注ぎ育てよと言う国の方針に沿って出来たもの。
直に見て、聞いて、触れて、考えて、情緒を育む子供教育の普及を目指し、学生たちが教育実習プログラムに取り組む姿が印象的だったのだが、そこに導入された先進技術には目を見張るものがあった。
スクリーンに映されたバーチャルの教室、教壇には女学生が「先生」として立つ。 スクリーンの中の生徒たちがガヤガヤと騒いでいる。 遅刻して来た一名の生徒。 「先生」はマイクを通して仮想現実の中の生徒とやりとりをする。
各生徒には全て名前が付いており、各々が別人格としての個性を持つ。 生徒は皆、自己を認識しており、「先生」の呼びかけや指示に対し自在に反応する。 ここまでは「単に高度なAI技術」として評価が出来る。
当然、朝鮮語に対応するプログラムを組んであるわけだから、AIが「先生」の言葉を認識して反応するのは当たり前なのだが、なんと「生徒ら」は、日本から訪問した在日朝鮮人女性の言葉もしっかりと認識、見事に反応してみせたのだ。
平壌の言葉と在日コリアンが使う言葉には、イントネーションや単語に差異がある。 年配者となるとさらに言葉が聞き取りにくくなり、AI側の解析の難易度もその分だけ上がる。 予め入力された決められたパターンだけでは、このようなアクシデント的要素にはなかなか対応仕切れないはずなのだが、見事に受け答えてやりとりが普通に成立していた。
また、他の実習室では、砂場の上にプロジェクションマッピング技術で映像を投影、砂を持ったり、掘ったり、なぞったりすると、山と山脈、海、川が現れるプログラムを実施していた。 プログラムが砂場の高低差を認識して、瞬時に反応する様子には感心させられた。
大人が見ていても楽しいのだから、実際に触る子供たちはきっと夢中になるに違いないと思った。
子供の知育面もさることながら、ある事象に対する子供たちの受け答えを細部まで分析評価し、個々の特性を的確に捉えて、長所をより伸ばし短所を克服するための方策を立てるシステムまであった。
こんな楽しいシステムで学べる朝鮮の子供たちが羨ましくもあり、その将来性がとても頼もしく思えた。 英才教育のもと、秀才キッズたちが続々育っていくのだから。
それと同時に、この見事な先進的教育プログラムとシステムの存在は、それを開発する技術集団があってこそであり、朝鮮で体系的に育っていると言う事実の裏返しにもなる。
高度な情報技術力は将来、国を支える強力な武器となる。 朝鮮の未来はきっと晴れ渡っているに違いない。(Ψ)
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