朝鮮人強制連行被害者・遺族協会スポークスマンは、東京大空襲から75年経ったことと関連し10日談話を発表した。
以下全文
日本帝国主義が起こした侵略戦争の炎の中で、米軍による東京大空襲によって数多くの朝鮮人が無念の死を遂げた時から75年経った。
周知のように、武力で朝鮮の国権を強奪した日帝は、日中戦争勃発以後だけでも840万人余りに及ぶ朝鮮の青壮年を強制的に連行して、侵略の戦場と死の苦役場で弾除けと奴隷労働を強要した。
日本の東京に連れて行かれた朝鮮人もまた、懐かしい故郷、愛する父母兄弟と生き別れて、人が生きられないような所で軍需工場や工事場で過酷な奴隷労働に虐げられざるを得なかった、強制連行、強制労働の被害者であった。
1945年3月10日、苦役と虐待、飢餓と病魔によって倒れていた朝鮮人は、米軍の無差別な爆撃によって群れをなす死を強いられた。
悪辣な日帝は、人間以下の冷遇と蔑視、危険で過酷な労働に抵抗する朝鮮人が空襲で混乱した隙を狙って逃げるかも知れないとして、「飯場」に閉じ込め行き来をできなくした。
その結果、朝鮮人強制連行被害者1万人余りが無残に殺され、数万人が負傷する大惨事が招かれた。
これは全的に、日帝の朝鮮に対する軍事的占領と朝鮮人強制連行の蛮行に起因するもので、いくら歳月が流れて世代が交代しても、我々は日帝の天人共怒する反人倫的犯罪を絶対に忘れられない。
にもかかわらず、日本政府は敗戦して75年になるまで朝鮮人強制連行犠牲者の身元を確認し遺骨を全て探して送る考えはせず、むしろ自国民の被害についてのみ言い立てながら、朝鮮人犠牲者の被害については縮小、隠蔽するために詐術を弄している。
それだけでなく、生きて帰れないのならば死んだ後にでも故郷の地に埋葬してくれという血の絶叫を残したまま、目も閉じられずに他界した強制連行犠牲者の魂が宿っている遺骨を家族に知らせずむやみに処理したかと思えば、亡父の遺骨でも探してみようとする遺族の孝行の道さえ卑劣な方法で阻んでいる。
日本の右翼勢力は、各地に建てられた歴史の証拠物である朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑をなくそうと悪辣に策動しており、今年の初めには、強制連行被害者たちの直接的な子孫である在日朝鮮人を根こそぎ虐殺するという妄言が刻まれた「年賀状」まで回し、人々を驚愕させた。
日本当局と右翼反動層のこのような行為の裏面には、犯罪の証拠物を隠滅して朝鮮人強制連行犯罪と犠牲者の遺骨問題を有耶無耶にして侵略史を美化し、ひいては過去の反人倫的犯罪に対する賠償の義務を払拭しようとする下心が潜んでいる。
我々は、朝鮮民族に計り知れない不幸と苦痛、悲惨で無念の犠牲を強要しておきながら、それに対するいささかの罪意識もなしに歴史の真実を歪曲、隠蔽し、被害者と遺族の癒えない傷に刃を突き入れる日本当局と右翼反動層の妄動にこみ上げる憤怒を禁じえず、それを峻烈に断罪、糾弾する。
日本政府は、罪多き過去を歴史の闇に葬ろうとする鉄面皮な態度を捨て、全ての朝鮮人強制連行被害者と犠牲者遺族に徹底的に謝罪して賠償し、朝鮮人の遺骨を全て探し出して遺族の意思通り葬るための実践的措置を講じるべきであろう。
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