金正恩国務委員長と文在寅大統領の歴史的な南北首脳会談の余熱がまだ冷めやらぬ中、5月2日板門店を訪れる機会に恵まれた。
生憎の雨模様ではあったが、板門店に向かう一行の心は躍っていた。 何せ、民族の未来を切り開く歴史的会合が開かれたその場所に、直後に、タイムリーに行けるわけだから。
金正恩国務委員長も会談当日早朝に通られたであろう、行く先は板門店へと続く平壌開城高速度道路。 途中の瑞興休憩所でトイレ休憩を一度取り、バスは急いだ。
なるほど、金委員長も首脳会談の場で率直に語られていたとおり、道路事情は決して良くはない。
あちらこちらに穴を埋めた形跡があり、それらがフラットではない為にバスはよく揺れ跳ねた。 20数年前にもこの高速度道路を走って板門店・開城に向かった事があったが、その時はまだまだ路面が綺麗だったと記憶している。
アメリカと言う強大な敵と真っ向から対峙してきた朝鮮が、国防の為に国家費用を優先的に回さねばならなかった事を考えると、やむを得ぬ事情だったということは十二分に推測できる。 国防の見地から敢えて路面が荒れた状態で放置した面も、若干あるかもしれないが。(注:平壌開城高速度道路は首都平壌まで直通ゆえ、有事の際の足止めが必要との見方)
その朝米対決がいよいよ決着を見ようというのだ、朝鮮の「勝利」で。 遠からぬ先、この道路も全面改修されてフラットでスムーズに生まれ変わることだろう。
平壌市街地を抜け、郊外を抜け、板門店に向かう途中、左右に広がる風景に目をやる。 畑を耕し、田植えに備える人々の姿があちらこちらで確認できる。 朝鮮固有の黄牛も見える。 山羊も草を食んでいる。 田植えの準備はほぼ終わっているように見えた。
板門店への道を進みがてら眺めた車窓から印象に残ったのは、周りの丘と山々(決して高くはない)に若い樹木がたくさん植えてあったこと。
「苦難の行軍」時代、不足する燃料を確保するための伐採によって、元々山林密度がそう高くない朝鮮の山里はかなり「禿山」化した。 しかし、「苦難の行軍」を乗り越えた今、国を挙げて、山林を保護し育てようと努めている。
雨天にもかかわらず、板門店地域の入口には沢山の観光客が訪れていた。 土産店には在日朝鮮人の他にも欧州人観光客や中国人観光客も多数おり賑わっていた。
ここからは朝鮮人民軍の担当官が案内役として随行、関連施設を説明してくれた。
故・金日成主席が生涯最期に残された親筆碑の前に立つ。 日付は1994年7月7日。 南北首脳会談に関する書類を批准された際のものだ。
歳のせいだろうか、主席の親筆碑を前にして、生涯を祖国と民族の統一の為に捧げられた主席の笑顔が思い出され、不覚にも涙しかけた。 このような思いを持つ者は決して自分だけではないだろう。
停戦談判会議場、停戦協定調印場と担当官の説明を受けながら進み、板門閣に上がる。
2階テラス部分に出て南側を見渡す。 軍事境界線上にまたがる施設より奥に目をやると、南北首脳会談が行われた「平和の家」が見える。 以前であれば、「南北間の対抗意識の産物の一つ」くらいの感覚だったが今回は違う。 4月27日、南北の首脳が虚心坦懐に会い、民族統一への新しい筋道を開いた現場がそこにあるからだ。 まさしく時代が動いていると言う実感だ。
南北両首脳が植えた記念樹も見ることができた。 少しオーバーな気もするが、それだけでも歴史の息吹を感じることができた。
それと、今回の板門店訪問では、この地に詰めている朝鮮人民軍の官兵たちの表情が柔和になったというか明るくなったような気がする。
以前ならばもっと表情が固く、務めて厳しくするような緊張感があった。 実際、板門店はアメリカ=敵と直接対峙する最前線であり、ついこの間までは、熾烈な神経戦を戦って極度の緊張状態が続く最中だった。 それが、昨年11月の国家核武力完成を機に卓越した外交攻勢で大転換、ついには朝米首脳会談を開催するまでに至った。 朝鮮の実質的勝利が目前に迫ってきたのだ。 戦士たちも信心から自然とそのようになったのだろう。 民族自主的平和統一に向って動き出した歴史の歯車を、決して止めてはならないと切に思った。(Ψ)
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