朝鮮労働党中央委員会の金與正第1副部長は10日、次のような談話を発表した。
以下全文
私は最近、数日間に米国の人らが連日発信している我々と関連する怪異なシグナルを報道を通じて聞いている。
しまいには朝米首脳会談の可能性まで示唆するようになった米国の人らの心理変化をTV報道を通じて興味深く視聴する事は、朝食時の暇つぶしとしては申し分なくよかった。
あくまでも私個人の考えではあるが、判らぬとはいえ、朝米首脳会談のようなことが今年内には起こらないだろうと思う。
とはいえ、また判らない事でもある。
両首脳の判断と決心によってどんなことが突然起こるか、誰も知らないからだ。
しかし明白なのは、朝米首脳会談が誰かの言葉通りに必ず必要であるならば米国側に必要なのであり、我々には全くもって非実利的であり無益だという事実を念頭にそのようなことを占ってみるべきだ。
朝米首脳会談が成されるとしよう。 米国は我が指導部との継続的な対話だけでも安堵感を持つようになっているし、再び首脳間の親交関係を押し出して担保される安全な時間を稼ぐことはできるが、我々は米国との協商で得るどんな成果もないし期待さえしていない。
私は、朝米間の深く激しい対立と解けない意見の差が存在する状態で、米国の決定的な立場変化がない限り、今年内、そしてさらにこれからも朝米首脳会談が不必要であり、最小限我々には無益だと考える。
まして今年中の朝米首脳会談は、その可能性の可否を離れて、米国がいくら望んだとしても我々が受け入れてやってはいけないと考える。
その理由を簡単に3つ挙げるならば、一つめはそれが必要だとすれば米国側で必要であって我々には無益だという事であり、2つめは新しい挑戦をする勇気もない米国の人らと対座しても再び我々の時間を取られるだけで、それでも維持されてきた首脳間の特別な関係まで棄損される危険があるためであり、三つめはクズのようなボルトンが予言したものであるから、絶対にそうしてやる必要がないためということだ。
実際、米国にとってすぐに必要なのは首脳会談自体やその結果ではなく我々との関係で首脳間の親交関係を掲げ、自分たちに政治的に災難になることが起こらないように、我々を宥めて足首を掴んで安全な時間を稼ぐことに目的があるはずだ。
そして、今首脳会談を行うならば、それが誰かのうんざりする自慢話にのみ利用されることが明らかだ。
米国は大統領選挙前夜にまだ貰えていないクリスマスプレゼントを貰うことになるかと心配しているはずだ。
私は、米国がそのような厄介なことにぶつかって困惑するか否かは全的に自分らの行動次第にかかっていると思う。
時を構わず、退屈であればあちこちで意地悪なことを吐き散らし、我々に対する経済的圧迫や軍事的威嚇のようなつまらないことだけに執念を燃やすなら、何事が起こるかは暫く成り行きを見るべきであろう。
私は、そのようなことの有無に対するいかなる情報を持っていないが、米国が我々に発信する様々な危険な圧迫性の言動を我が指導部がいつまでも座視しないということだけは確かであると考える。
しかし、現在のように米国が極度に恐れることが起こらないのを見ると、恐らく我が委員長同志と米大統領の格別な親交がたっぷり作用しているという気もする。
このような時に、米国が不安がり苛立たしくて自ずと下手に我々の重大な反応を誘発させる危険な行動に出るなら、寝ている虎を刺激するようなことになるであろうし、結果が無事ではすまないということは明白である。
最近になって米国が朝米間の実務協商テーブルや首脳会談テーブルを叩く基本目的を、正しく見抜かなければならない。
米国は、対話のドアを開けておいて我々を宥めて安全な時間を稼ぐことを願っている。
そして、米国は内心ではハノイでのような協商条件にでも戻りたいのかも知れないという気がする。
今になって顧みれば、米国はまさにその時である2019年の年頭、ハノイで部分的な制裁を解除するような真似をして、いくらでも我々の核中枢を優先的に麻痺させ、我々の展望的な核計画をごちゃ混ぜにすることのできる可能性を持っていた。
その時は、我々が取引条件が合わないことにもかかわらず、危険を冒してでも制裁の鎖を断ち切って一日も早く我が人民の生活向上を図ってみようと一大冒険をしていた時期であったと言える。
しかし、2019年6月30日、板門店で朝米首脳会談が開催された時、我が委員長同志は、北朝鮮経済の明るい展望と経済的支援を説教し前提条件として追加的な非核化措置を求める米大統領に、華麗な変身と急速な経済繁栄の夢を叶える為にに我々の体制と人民の安全と未来を何の保証もない制裁解除などと決して交換しないことについてと、米国が我々に強要してきた苦痛が米国に反対する憎悪に変わり、我々はその憎悪をもって米国主導のしつこい制裁封鎖を切り抜けて、我々の方式で自力で生きていくことについてはっきりと宣明した。
その後、我々は制裁解除問題を米国との協商議題から完全に投げ捨てた。
私は、「非核化措置対制裁解除」というこれまでの朝米協商の基本テーマが、今や、「敵視撤回対朝米協商再開」の枠組みに直されるべきだと考える。
制裁が加えられるとして我々が生きられないわけでもないのに、何故米国に引きずり回されるのかということである。
米国が今になって、ハノイの会談テーブルに上がっていた一部の制裁解除と我々の核開発の中枢神経である寧辺地区のような大規模核施設の永久的廃棄を再び駆け引きしてみようとする愚かな夢を抱かないことを願う。
トランプ現米大統領に対する我が委員長同志の個人的感情は疑う余地もなく固く、立派であるが、我が政府は現米大統領との関係如何に従って対米戦術と我々の核計画を調整してはならない。
我々は、トランプ大統領とも相手しなければならないし、それ以降の米国政権、ひいては米国全体を相手にしなければならない。
ここ数日間、米国の高位当局者らの発言だけを見ても、大統領との関係とは無関係に我々がこれからすべきことを判かるようにする。
米国務省が対話意志を披歴するかと思えば大統領まで出てきて我が指導部との良い関係を重ねて明らかにし朝米首脳会談の可能性まで示唆する一方、米国防長官なる者はまたもやいわゆる「CVID」を云々し、我が国に向かって「ならず者国家」という敵対的発言を隠さなかった。
大統領とその下で、面白くも辻褄の合わない言葉が出ているのが意図的な奸計なのか、大統領の不確実な権力掌握力から生じるものなのかは評したくない。
とにかく、朝米両首脳の関係がよいとしても、米国は我々を拒否して敵視するようになっている。
トランプ大統領との関係だけを考えて、我々が犯してはならない失敗は絶対にしてはならないということを警戒すべき時である。
最近、米国が対朝鮮制裁に関する大統領行政命令を1年間延長する一方、朝米関係の改善に先だって「人権問題」が「解決」されるべきだと喧伝して我々の「人権実態」に言い掛かりをつけたり、我が国を「最悪の人身売買国家」「テロ支援国」に再指定するなど、我々を狙ってことごとに刺激したりしているが、これだけを見ても米国の対朝鮮敵視が決して撤回されないということがよく分かる。
我々に対する体質的拒否感が「風土病」になってしまった米国が現在の大統領選挙「危機」を免れるとしても、その後、我々に向けて取る数多くの敵対的行動を予見しなければならず、我々は今の時点で現執権者との親交よりも今後絶え間なく続くであろう米国の対朝鮮敵視に対処できる我々の対応能力の向上についてより悩むべき時であると考える。
我々は、米国からの長期的な脅威を管理し、そのような脅威を抑止し、そのような中で我々の国益と自主権を守り抜くための展望的な計画を立てなければならず、実際の能力を強固にして不断に発展させていかなければならない。
現在、朝米間の非核化協商を再開しようとする試みは、米国がせわしがって持ち出している問題であって、我々が焦って願う問題ではない。
会談のテーブルで何かをいかにしてもっと奪い取ろうかということだけを考える米国とはすぐ対座する必要がなく、米国の重大な態度変化をまず見て決心してもよい問題であると思う。
米国は、我々の核を奪おうと頭を絞るのではなく、我々の核が自分らに脅威にならないようにすることに考えを巡らしてみる方がより簡単で有益であろう。
我々には米国を威嚇する考えが全くなく、それについては委員長同志もトランプ大統領に明白な立場を明らかにしたことがある。
ただ、我々を刺激したり手出ししたりしなければ、万事がスムーズに運ばれていくであろう。
我々は決して、非核化をしないということではなく、今はできないということをはっきりさせておくし、朝鮮半島の非核化を実現するには、我々の行動と並行して他方の多くの変化、すなわち不可逆的な重大措置が同時に取られてこそ可能であることを想起させる。
他方の多くの変化という時、制裁解除を念頭に置いたものでないことを確かにしておきたい。
私はもともと、南朝鮮に向けてというのならわからないが、米国の人に向けてこのような文章を書くのは願っていなかった。
終わりに、数日前、テレビ報道で見た米国の独立節記念行事に対する所感を伝えようと思う。
可能であれば、今後、独立節記念行事を収録したDVDを個人的にぜひ手に入れようと思っていることについて委員長同志から許諾を受けた。
委員長同志は、トランプ大統領の活動で必ずよい成果があることを祈願するとの自身の挨拶を伝えるようにと述べた。
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